ブログを持っていたことを忘れていた

アニメ響けユーフォニアム! を見て その演出に 戦慄した。

本来 アニメ(テレビ漫画)は ボーと見て脳味噌を休めるためにあるものだと思っていた、なんだこのアニメは 可愛い子たちが吹奏楽部で頑張って悲喜こもごもを面白おかしく 吹奏楽部経験者共に学生時代の共感を呼び起こさせるだけのものだと 高をくくって 見ていたのを とんでもない方向で裏切ってくれた。

 特に驚いたのは 12話の滝先生とのやり取り 原作を読み返して 更に 何故なんだろ此処をこのセリフにし演出した意図が 何時か知りたい と初めて見たときから ずーと心の隅に 閉じ込めていたのですが 永遠に聞くことが出来ない事が決定してしまった。 ありのまま 受け入れるしかない現実に帰結した今 ただそれが 悔しいでもなく 怒れるでもなく  過去は変えられない 生きている限りは 立ち止まっていては 彼らたちに申し訳ない 彼らたちもそれをも望んでいないという確信が あって という 何とも例えようがない 言いようがない気持ちを 2週間以上抱えたま鬱々と過ごしてます。 しかし支離滅裂な読みにくい文章だな。

反省しても文章はうまくなれないようなのでそのまま放置

 

追伸 

今日 某ブログに 星を付けて来たので ブログ主が訪れるかもしれないので 星を付けながら 私が思ったこと

・自撮りは 世間一般には知られていないようですが 自傷行為です 真由の写真を撮らない気持ちをご理解ください。

・作者の武田綾乃氏の暗黒面を知って プロの物書きとして物語を綴るには必要なのかなと思い 自分には無理だなと 

 

 

 

 

 

此処から下は日々考えてること

・宗教の存在意義はあるのか 信心を人質にして集金しているだけで 救われたと勘違いさせているだけは 鰯の頭も信心からなのか 

マルクス・アウレリウス永六輔との共通点に気づいた今日この頃

親鸞の誤解を生んだ言葉の真意と唯円の伝聞ゆえの歎異抄のちぐはぐ感

道元の悟り残念さ  

仏陀の悟りを開いた瞬間はいつか 経典の存在理由 

・悟りの伝承だけなら 経典は要らない

・鬱(うつ)病は 本人が無意識に求めるから 発症するものだと誰も気づいて居ない

哲学書なるものを少し齧ってみて 作者たちはあえて 難しい言葉を選んで言葉遊びしているようにしか見えなかった 自分が考える哲学とは 社会に存在する様々な矛盾する対立を さらに高次元で解決する手段というか 思想だと思っていたのに 単に読者を翻弄しているだけのように感じた 駄目だろこんなもの